執筆と読書と雑談なブログ。毎日更新……だった。約一年ぶりにブログ復活の兆し。趣味は麻雀が追加されました。
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実はコメレスです。途中からカオスったんでこっちに転載。
>姐さんへ チャット参加できなくてすみません(汗) またチャンスがあったら誘ってやってくださいm(_ _)m バトン……。必ずやります……。たぶん……。いつか……。 >ぶっちゃけここから自己満足。 ぜんぜんコメレスになってないので注意です。あとすごく独善的な言葉を吐いてます。気分を害してしまいましたら、申し訳ありません。 心の傷は見えませんし計れません。同じ目に違う人が合えば全く違う傷つきかたをするはずです。酷い目にあった人間が比例して酷い傷をおっている、ということでは決してないと思います。どうしよもなく弱い人間というのはいるんだと思います。それは想像でしかありませんが。私自身、あまり強い人間ではありません。自分を「弱い」なんて定義をしなくちゃ先へ進めないような人間です。でもだから強さに憧れます。常に強さを志しています。弱いままであること憎んでいます。心の傷は他人には見えませんし、その大きさを計ることはできません。その傷の大きさを知っているのは自分自身だけです。そしてもちろん自分は他人のを傷を計れないのですから、その大きさは相対的ではありません。それでもやっぱり、傷の大きさを測れるのは自分自身だけです。私はそう考えています。最近小説で「他人の立場になって考えることはできても、他人の気持ちになって考えることはできない」みたいな文にであいましたが、まさにその通りです。だから自分はあんまり他人に優しくしません。他人様へはらえるのは敬意だけであり優しさではないような気がするのです。だって他人のことなんて分からないんです。妙な優しさを振りまいて藪をつついてはかないません。それに、自分は弱い人間が嫌いです。だからなお更他人へは優しく接しません。まあ何が言いたいのかといえば、「俺の傷は俺のもの、1ミリだって分けてやるものか」「お前の傷はお前のもの、1ミリだって背負ってやるものか」とまあこんな感じでしょうか。貫徹で軽くハイになっているせいか、なんだかとんでもないことを書いてしまったような気もしますが、これも良い記録だと思われるので迷わず載せることにします。 ただ、たまにこんなことを定期的にマジに考えてしまう自分は本当につまらない奴なのかと思うことも在ります。だいたい恋人できたらどうするんよ、自分……とか自分でツッコミも入れたりします。実際、どうなんでしょうかね? まあ答えは俺が死んだ後数年後くらいにでるんだろーな、と思ってます。 まじ自己満。ほんとすんません。 PR
俺は小学校の時、いじめられた経験がある。
あちこちで新聞に載ったり小説に登場するようなハードなものではなかったが、この経験は俺という性格に様々な影響は与えたのではないかと思う。 内容はいたって単純だった。クラスを仕切ってる男の子の不興を買い、休み時間に遊びへ入れてもらえなかったのだ。いじめられる人間はランダムかつ気分だったように思う。そのいじめがどう完結したのかと言えば、たぶん相手が飽きたころに終わった。俺は毎回入れてくれるように頼んでは断られ、というのを繰り返し、入れない間は同級生の遊びを近くからぼうっと眺めていた。子供心にも派手なリアクションは相手を楽しませる、という意地があったのはなんとなく覚えている。とにかく、大してハードでもないありふれたこのいじめは、そうしていつの間にか終わった。当時小学三か四年生である。 また中学校も、いじめというような表面化した事象はなかったが、決して居心地のいい場所ではなかった。所属も野球部となり、強かったこともあって周囲も自分も滅多なことはできなかった。だが、思い返してみれば、当時かなり病んでいた節はあった。……ちょっとドラマチックに脚色しすぎか。まあ、でも、居場所としてはかなり居心地の悪いところであるのは事実である。 当時のチームメイトへの認識は「仲間(チームが同じなだけ)ではあるが友達ではない」である。無駄口を叩く相手がいなかったわけではなかったが、それでも三年間のほとんどを共にした中学校の野球部は俺にとって決して気を許すことのできないところだった。 さて、そんな小中を送った俺の観点から、いじめられっ子は往々にして「鈍感」である、ということについて持論を書いてみたい。 (しかし疲れたので続きは次回に回す俺……)
さて、最近めっきりPCを開かなくなった俺……。
ブログはともかくムチャ企画は果たして間に合うのでしょうか? みなさん知ってますでしょうか。わたくし、概要だけでまだ本文が一文字も書けておりません! 知ったこっちゃないですね、サーセンorz まあ忙しくなり始めてる理由(言い訳)を説明しておくと大学が始まったからですね。入学式(三日)には知り合いいなくてショボーンだった俺も、なんだか気がつけば(六日現在)すでに友達が20人を越えそうです。てかどんだけフレンドリーなんだよwwwwwwwwww とりあえずバレるまでオタクは隠します。 死守はしませんがカミングアウトはしない方向で。高校で(身をもって)学んだことは「正々堂々は正しくもなければ格好良くもない」、ということなので。自分の主張を通すためにこそ、空気を読むことは大事だと教わりました。一本だけ出る杭は打たれる。ならば周りと一緒にちょっとずつ出て行けばいい。出て行く方向に仕向ければいい。正攻法が駄目なら搦め手を使えばいい。昔はそのズルさが駄目だと思ってた……。 付和雷同は大嫌いですが、そこらへんとのバランスが難しい。……あるいは、性質的にはなんら違いはないのかもしれない。ただ俺自身は違うつもりだし、これからも違うつもりで行動していきたい。 でも自分の主張を通すため、愚直に正攻法を選ぶことは正しくないかもしれないし効率も悪いかもしれないけど、それはそれでとても孤高であり崇高なことだと思う。少なくとも俺はそうであり続けることはできなかった。昔の俺が今の俺を見たら罵るのかもしれない、とたまに思う。ただ、今も昔も俺は自分のことがちゃんと好きだし、それなりに正しいと思っている。 昔は絶対に譲れないものが多かった。今は、はっきり言ってほとんどない。生き巧くなって、それが賢いことだと言う自分と汚れてしまったと言う自分がいる。正直、この問いに絶対の答えは出せない。それでも俺には他人には譲れない自分のルールが、今もちゃんとひとつはある。だから大丈夫、と自分自身を信じてやりたい。 ここらへんの自分なりの悩みは「神無月」に通じるところもあるし、ムチャ企画の次に書く新作の軸になるテーマにしたい。『今』しか書けない小説を作りたい。
硬い矢は折られる。しなやかな矢は貫く。矢を持たざるは流される。
人間、もし主義主張を貫きたいのなら、その主義主張を曲げなければならないところを見抜かなくてはならない。意固地は強さではない。強くなりたければ折られた先に、曲がらなければならない強さを見つけなければならない。 ……うーん、偉そうだったかなぁ。……寝よう。
面白いことを思いついたからほざいてみる。
――この世には二種類の人間しか居ない。俺と、俺以外の人間だ。 さあ、なんか言いたいことある奴、ばっちこい!!( ̄へ  ̄ 凸 |
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プロフィール
HN:
天野 雀
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1989/11/24
職業:
高校三年生
趣味:
読書・麻雀
自己紹介:
大学生ニート。麻雀始めました。
物書き生命ぴんち。リハビリと休養に努めたいと思います。いや、努めちゃだめなの……か?
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