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執筆と読書と雑談なブログ。毎日更新……だった。約一年ぶりにブログ復活の兆し。趣味は麻雀が追加されました。
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塾の恩師の助言により、国語力向上のために今後本気読書は本気書評をつけることにしました。ちなみにこれは新書(っぽいの)を読むといい、という同先生のお言葉により手を出してみた精神科医の書いた本です。
というわけで、いろいろ手探りですが第一弾いってみましょう。

タイトル:『ロマンチックな狂気は存在するか』
著書  :春日武彦
背表紙 :イメージだけがひとり歩きし、実態がわからない狂気。恋愛妄想、多重人格、憑依、猟奇犯罪……。最前線の精神科医が、あなたに狂気の本当の姿を明かします。

目次  :第一章 正常と狂気の境目はあるのか
     第二章 自意識と不安の狂気
     第三章 流通する狂気とその実体
     第四章 異境としての精神病院
     第五章 狂気と犯罪
     第六章 文学的好奇心をそそる精神症状
     第七章 我々は狂気とどうつきあうべきかなのか

概要  :著者は精神科医という立ち位置から、世間で言われる「狂気」がいかに無責任なものであるかを批判している。偏見や差別、また畏怖される狂気。しかし人の好奇心をくすぐらすにはいられない狂気が、本当はいったいどういうものなのかを説明していくのが主な内容となっている。同時に都市伝説や創作物で都合のいいブラックボックスとして扱われがちな精神病棟がどんなものなのか、なぜ悪く言われてしまうのかなども記している。そして六章ではよく小説の題材になるような精神病の症例をあげている。
著者は本書の最後には
・「狂気」の多様性に注意せよ
・蓋然性(がいぜんせい)につけこんだ拡大解釈に注意せよ
・記号化され形骸化した「狂気」に注意せよ
の三点を強調して締めくくっている。

主旨  :世間で言われるところの「狂気」とは精神科医の視点から言えばほぼ「=精神分裂病」であるらしい。またその症状はおおまかに三タイプあり、①妄想型 ②破瓜(はか)型(破瓜とは思春期の別名で、その時期に発病しやすいことから) ③緊張型(激しい興奮と、逆に硬直したかのような無動状態とが交互に出現する) と分類されるとある。

「あなたは正常と狂気との境目をちゃんと分かっているんですか?」という質問を著者は患者に何度かされたことがあるらしいが、その質問に対する著者のスタンスは素人目には興味深かった。それは患者からのお前の治療しているものなんてのは所詮あいまいなものだ、という意地悪な宣言なのだそうだが、多少経験を積んだ精神科医には痛くもかゆくもないらしい。精神病(狂気)とは決してクリエイティブで創造的なものではなく、ある程度の症例で覆いつくし切れてしまう凡庸なものでしかない、という。つまり、精神科医にも狂気と正気の境目は見えないが、精神科医には目の前の人間が患者か否かは分かるのだという。

精神病棟への強制入院、というのはやはり実在するらしい。そこにはいくらか種類があるようだが、ここでは割愛させてもらう。そして、入院させられた場所はやはりイメージに違わず監獄かと思われるほどの場所であるという。だが、そこは精神病を病んだ人間には危ないものを取り除いた結果なのだという。

狂気とは派手な症状がでるものよりも症状の見えづらいもののほうが深刻であるという。派手な、たとえば二重人格などは(一般的な意味とは異なるが)演じられる部分があり、演じられている分まだ余裕があるらしい。どっちにしても狂気(精神病)が深刻なものであることには変わりがないが。

第六章から
【二重人格】:読んだ印象から言えば、わりと世間一般のイメージ通りである。抑圧された感情がもうひとつの人格として表れるのである。主人格には従人格の間の記憶がなく、従人格には主人格が認識できているのもわりとイメージ通り。症例の治療として互いの人格の文通、という手段もどこかで見たことがある。治る過程として、やがて主人格と従人格の中間の第三人格が現れ、そこに落ち着くのかと思いきやさらに「従人格が隠し味となった主人格」というような人格が本人そのものとして定着するらしい。二重人格といっても最終的に治るまでは四つの人格が表れるのは興味深かった。

【恋愛妄想】:個人的にはあまり聞きなれない単語だった。どうやら身近な人ではなく、テレビや作家など縁遠い人から秘密の愛のメッセージが送られてくる、というものらしい。自惚れやナルシストとは明らかに一線を画した精神病である、とある。

【記憶喪失】:記憶喪失には二パターンあるらしく、精神的なストレスから陥る場合と、頭を殴られて記憶を失うといったような物理的な場合があるらしい。そして、物理的な場合でない場合、小説なんかにあるようなショッキングな出来事がきっかけになる、といった場合が『ない』ことが多いらしい(つまり引き金がない)。また記憶喪失が生活に必要な知識や経験を失わないというのも本当らしい。そして、記憶喪失が年単位で継続することはまず有り得ない、せいぜいが数ヶ月が限度、とある。

【憑依現象】:人が狐やら大神やらに憑かれる、という症状である。ただ精神科医から見れば「外部→内部」ではなく、「内部→外部」へ行われる「風変わりな自己主張」であるらしい。また外国の憑依には日本ほど多様性がなくせいぜい悪魔か狼だという。(余談だがひぐらしが終ったばかりの身としては文化依存症という言葉が頭をよぎった)

【ドッペルゲンガー】:見えると死が近い、というアレ。自己に対する違和感、不確実感、空虚感といったものが症状として先行するらしい。「鏡像型」(自分と向かい合って同じ動作をしているもうひとりの自分を見出す) 「場面型」(過去の回想といった幻覚の中で昔の自分の姿が映画のように映る) 「転移型」(自分の願望を託すカタチでもうひとりの自分がそれを実現している姿を見る)などのタイプがあるという。

【幻影肢】:事故などで突然腕を切断、なんてことになると時折ないはずの腕が痛む、ということがあるらしい。オカルトなんかではなく、れっきとした科学で説明できるらしい。我々の頭のなかには「身体図式」というものがあって、それが自分の体の位置を把握しているのだという。その身体図式の改変が突然の実体の喪失に対応しきれなかった時に起こるらしい。ちなみに幻影肢は狂気の産物ではない、としている。

【離人症】:これまた聞きなれない単語だった。自分が自分である確信がもてない状態、とある。普通の人にもたまにあるだろうが、それがずっと続く状態とあった。そう説明されればそんな感じか、と思うしかない。どうやら結構深刻な症状であるらしい(そもそもここには深刻な症例しかないのだが)

【既視覚】:デジャ・ヴュとも言われる。これはフランス語らしい。脳の勘違い、という学説はちゃんと存在するらしい。なにやら小難しいことが言われておりよく分からなかった。現在の精神医学会ではあまり注目されないジャンルであるらしい。

【替玉妄想】:身近な誰かが、見た目はそっくりなのに実は中身が入れ替わっている、という妄想だという。どうやらなにかしらの精神病の経過中にみられる症状のひとつらしく、想像力の衰弱や判断力の低下によって奇想天外な物言いをするようになったと著者は考えているらしい。

感想  :全体を通した感想はなんだかんだイメージ通りじゃん、というものだった。いろいろ医学的な説明を著者はしてくれたが、世間一般に蔓延した狂気のイメージは偏見へ繋がるような強烈なものを覗けばおおまか当っているものが多い。大事なのは、それを無批判に風潮しないことかなと思った。そういった安っぽい語りはやがて偏見へ行き着くような気がするからだ。
やや脱線するが、著者の世間を見下したような言い方(書き方)が少し目立った。普段から偏見の目で見られている反動なのかなんだか、世間はみな、自分たちをこんなにも頭の悪い見方をしている! みたいなことを高らかに言っているようで、読んでいてところどころ嫌になった。
まあそんなことは差し引いても興味深い本だった。精神病に関する入門としてはなかなかいいんじゃないかと思う。執筆者として精神病を題材にしたい、それはこんなイメージなんだけどそれって偏見かな?と疑問に思うのであれば確認のために読むには適していると思う。六章はまさにそのための章であるわけだし。
 □ □ □
こんな感じだろうか。
思っていたよりずっと長くなってしまった。
そして、改めて書いてみると、時間をかけて読んだにもかかわらずぜんぜん内容が頭に入っていないことに絶望するorz
とにかく、これを読んだ人間が、本を読まなくても「こういう内容なのか」と思ってくれれば幸いである。

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HN:
天野 雀
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1989/11/24
職業:
高校三年生
趣味:
読書・麻雀
自己紹介:
大学生ニート。麻雀始めました。
物書き生命ぴんち。リハビリと休養に努めたいと思います。いや、努めちゃだめなの……か?
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