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執筆と読書と雑談なブログ。毎日更新……だった。約一年ぶりにブログ復活の兆し。趣味は麻雀が追加されました。
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 ◆高校の野球部のメンバーで飲み会へ

1つ上の代と俺らの代のメンバーに声をかけて回っての忘年会でした。
思ったよりも人は集まらず12、3人ってとこ。食べ放題飲み放題のお好み焼き屋だった。あと最近自分の酔わせ方が分かってきたせいか序盤から飛ばし過ぎた。超酔った。でもやっぱ俺は酔っても記憶も自我も飛ばないらしい。

◆またちょっと鬱な話

上のことと関連して。
前提として、やはり俺は高校のメンツには舐められているというか、侮られているというか、とにかくヒエラルキー的にかなり格下に思われている節がある。それ自体に恨みごとを言うつもりはない。やはり集団というのはそういうものだし、体育会系ならその傾向は強まる。さらに言えばその地位に自分を落とし込んだのは他ならぬ自分自身でもある。

ただ、そういう仕組みみたいなのを理解していることと、そういうのを納得できることっていうのは同じじゃない。最近ようやく自覚してきたのだが、俺はかなりプライドが高いらしい。だから他人から馬鹿にされるのが大嫌いだし、他人にいいように使われるのも大嫌いだ。だけど、高校のメンバーと一緒にいるとき、そういうあれやこれから逃れることはできない。一度確立したヒエラルキーをひっくり返すことなんて滅多にできることではない。

ただ勘違いされたくない、これをいつか見直す自分にも忘れて欲しくないことは、だから俺が高校のメンバーが嫌いかといえば、そんなことはないってことでもある。中学の時と違い、ちゃんと高校の野球部のメンバーは友達だと思っていた。少なくとも、俺は。ただ相手だって人間だし相手だって子供だ。欠点や気に食わないことのひとつやふたつ、あって当たり前というものだ。ただ腹は立つ。そういうことだ。

◆認められているという実感

ごちゃごちゃ言ったが、要するに自分のことを評価してくれない相手、集団の中で生きるというのは相当な精神的苦痛を強いられるということで、つまり高校時代もなんだかんだ苦しかったんだなぁ、自分……というただの自己愛精神丸出しのつぶやき。まあたまにならあいつらとつるむのもいいと思う。忘れがちな「生きる」という強い意志を思い出させてくれる。待ってろよあんにゃろうども、俺はてめぇらの誰よりも有名で誰よりも偉くなってやるかんな、こんちきしょう。

ただ、そんな集団でも三年間決して辛いだけでなく過ごすことができたのは、ひとりでも理解者がいたからかもしれない。不器用ながらヒエラルキー最下位の俺をフォローしてくれたこともあったし、馬鹿にしたような口調をしながらも俺の趣味に興味を持ってくれた。たまにしか会わないけど、野球部とは関係ないところでも未だに付き合いのあるKには本当に感謝を。向こうがどう思っているかは分からないけど、勝手に親友だと思わさせてもらうことにします。

◆関連して小説の話へ

こうした息苦しさとか、惨めさとか、それを跳ね返そうとする意志とか、こういうのはちょっと小説にしてみたいかもしれない。誰かに自分の気持ちを分かってほしい、共感してほしい、という欲求から書かれる小説ってのは、なかなかに健全なような気もする。

メモ書き程度だが、「本物(天然)の変人と偽物(人工)の変人」が主要登場人物として出てくる話なんか、上みたいな物語にいいんじゃないだろうか。偽物は、なぜ自ら努めてまで変人にならなくてはいけなかったのか、あるいはそうしようと思ってしまったのか。偽物の変人は偽物であるがゆえに実はただの普通人ではないのか。しかし、偽物の変人は作ってまで変であろうとした時点で、実はすでに普通ではなくなっていたー、なんてオチ。これだけじゃなに言ってるか分かんないなw まあメモ書きなんで。
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超今更かつ超情けない話なのだが、なぜか最近、そのタイミングで目から鱗だったので、書いておきたいと思う。

俺はめちゃくちゃ面白い作品を読むとむしろ創作意欲が萎える。これは創作仲間の何人かにはよく言っていることでもある。むしろ俺に創作意欲を湧かせるのは悪くないんだけど面白くなり損ねた作品である。

そんなことを言う俺に、Tくんは「それを越える作品を書けばいいじゃないか」と言った。当たり前の話だし、わりと何度も言われてきたことでもある。だけど、なんでかははっきりとは分からないのだが、このタイミングで俺はついにピンときた。そうか、越えられそうにない神作にであったら、だからこそ、それを越えようとすればいいのか、と。

思えば俺は野球をやってるときから中途半端に普通であることを嫌いつつも中途半端に普通であることをどこかで守り続けていた。プロ野球選手を目指していた時期ですら、「二軍でもいい」「ドラフトは無理だからプロテストで」などと、プロ野球選手などという普通ではない夢を描きつつもドラフトは無理だと夢を膨らませられなかった。

全く同じことを、小説に対してもしていた気がする。凄い作品を見ると創作意欲が萎えるのがいい例だ。要するに、「これ以上は越えられない壁」というものを自分から作っていたのだ。にも拘らず、惜しい作品を見ると創作意欲が湧くのは「これだったら越えられるんじゃないか」というせこい打算なのかもしれない。

知ってはいたが、改めて自分が常に「誰かに劣っているのではないか」という強迫観念的な劣等感を持って生きていた、今を持って生きていることを思い知らされる。だって普通物語を書くような人間は思うはずだ、自分が一番になるのだと。そう思うからこそわざわざ世の中に氾濫している小説を自分も書いてやろうと考えるのだ。それなのにも関わらず、最初から二位以下狙いなんて、普通じゃない。悪い意味で普通じゃない。いや、普通じゃない人たちの中で普通じゃないことをしているんだから、きっと普通なのか。もう何書いてるかもよく分からないけど、ようするに生来の負け犬根性が今をもって抜けきらない、といったところだろうか。ならもっと普通になるか、あるいは完全に普通でなくなるしか幸せになる方法はないのではないかと思うが、それがなりきれない。ただ俺は変人でもいいから普通ではありたくない。なぜかは分からないが、それだけは昔から思い続けている。

俺がオリジナリティのあるいいアイディアが湧かないのにはここらへんの意識の問題も関係してくるのかもしれない。せこい打算という意味では既成のものの応用しかできない、王道から外れることができない、という俺がものを書く時の癖にも表れている気もする。

ただ、今、俺はようやくそうした自分に気づくことができた。それに、なぜかは分からないが、いつかは「越えられそうにない神作にであったら、だからこそ、それを越えようとすればいい」と考えることができそうな気がするのだ。

ここでようやく「プロになるため」だけに書き始めた小説に、それ以外の目標ができた気がする。私的Sランク、神作、越えられない壁、これらの小説、これらの物語を越える最高のエンターテイメントを創作する。新しい目標としては申し分ないと思う。

いつになるかは分からないけど、いつかきっと、書きたいと思う。
 
誰に向かって書いてるわけでも、誰かに読んでもらいたくて書いてるわけでもないブログだけど、今日は書いておきたいことがあるから少しだけ真面目な話を書いておく。いや、読んでもらいたくて書いてるわけじゃない、ってのは嘘か。本当は誰かに聞いてほしいんだけど、きっかけもなく話せるようなものでもないし、素面で全部語れるようなものでもないから、こんな「もしかしたら誰かに見てもらえるかもしれない場所」なんていう辺鄙なところに書き連ねるしかないのかもしれない。さしずめ『王様の耳はロバの耳』に出てくる穴、ってところだろうか。

今日俺は一冊のライトノベルを読み終えた。端的に言えば素晴らしい出来栄えで、あまりの素晴らしさに長々と良かった点を書き連ねたいところだが、たぶんそれは俺が書きたかったことからは外れるので割愛したい。ともかく俺は一冊の素晴らしい小説を読み、とても感動した。

そしてそれを読んでいる最中、「ああ、俺もこんな話が書きたい」「今自分が感じているような心の震えを、自分の力で、他人にも感じさせたい」そんなことを思った。要するに、自分が今読んでいる小説に「憧れた」。

話が少し前後してしまうが、俺は前々から、そして最近は特に、「俺は小説を書くことが果たして本当に好きなんだろうか」と考えていた。理由としては文章を綴ること、物語を紡ぐことそのものに、他の知り合いが語るほどの快感を覚えないからである。そして、その自問に対する答えが「実はそれほど好きではなかった」というものだったら、という仮定はもはや恐怖といっても過言ではない。なぜなら、それは俺と執筆における関係が、俺と野球における関係となんら変わりなかったということだからだ。

「俺は野球のことが、自分が思っていたよりも好きではなかった」。これが、俺が野球を八年間も続けた末にたどり着いた結論だった。特に俺の高校野球三年間は中学時代に対する「意地」でしかなかったのだと思う。それ自体は別に悪いことではないと思う。たとえ原動力がただの「意地」でしかなかったとしても、俺は高校で野球をすることでたくさんのことを学んだし、最後の夏に試合に出れたことは誇っていいことだとも思っている。でも、それとは別にあれだけ拘った野球というスポーツが、自分にとって「そんなに好きでもなかった」という真実はそれだけでショックなことだったのだ。

これと同じことが、「小説を書く」ということにも当て嵌まってしまうのではないか、同じことを繰り返しているだけなのではないか、俺が執筆という行為に拘っているのはそれが好きだからではなく、ただ単に重ねた年月に対する「意地」だけなのではないだろうか。そんな恐怖がここのところずっと頭から離れなかった。

だから俺は来年の新人賞に投稿する流れに乗った。これが書ければこの恐怖から逃れられると思った。だけど、俺は結局書くことができなかった。そして、俺は書くことを休むことにした。休めば最後に残った「意地」さえも消えてしまうのではないかという恐怖もあったが、とにかく書きたいネタも、書けるネタも、どこにも見当たらない、枯渇した脳内の探索に俺は疲れていた。あとはもう、休めば書きたいものもそのうち見つかる、という希望に賭けるしかなかった。

今日読み切ったの『とある飛空士への恋歌 3』はそんな折に読んだ一冊だった。俺はこの小説に憧れた。この作者のようなことがしたいと思った。そのとき、俺はやっぱり小説が書けるんじゃないかと予感した。それは確信と呼ぶにはあまりにも弱々しい閃きだったが、それでも、今の俺にはとても心強い予感だった。

ぶっちゃけて言えば俺に憧れの野球選手はいなかった。こんな風になりたい、なんて思ったことはなく、正直野球を観るのもあまり好きではない。観ているくらいならやりたい、そんなことを思っていた。ただ、周りを見渡すとその感性はどうやら普通ではなかったらしい。今から考えてみると、やはりそれは野球が「好きではなかったこと」の証左であるような気がする。今では俺にとって野球とは、「人より優れたい」「人に認めてもらいたい」という欲求をどうにかするための手段だったのではないかと思う。それにしてはあまり上手くなかったけれど。

しかし、小説は違った。小説を読むことは大好きだとはっきりと言える。また、書き手としても今一度「憧れ」を認識した。ああ在りたい、とそう思った。そう思うのであれば、きっとまだ頑張れるのではないかと思う。もしかしたら、俺は自分で疑うほど小説を書くことが嫌いではなかったのかもしれない。そう思うことができた。

とは言え、未だ自分の「書きたいもの」が見つかったわけではない。予感も予感であり、確信とまでは自分で自分に言い切れない弱さもある。だから、やっぱりもうしばらくは書くことをお休みしたいと思う。そして、目を開いて現実を生きて、その中で「書きたい」と自分の感性が叫ぶものを探したい。そのとき、きっと俺は初めて自分の小説が書けるんじゃないかと、そんな気がする。

また少し話が飛ぶが、今ここで目標を立てたいと思う。思えばここ二年、楽をして生きてきた。「楽をしては勝てず、楽しまなくても勝てず」とは中学の時野球の合宿で耳にした言葉だ。いつからだったか、座右の銘みたいなものにして生きてきた。野球と違い人生の「勝利」とはなんなのかなんてことは一言では表せない。しかし、それは「より良く生きる」ことであることは間違いないはず。そんなことを思う。最近は「楽しんで」はいたが、「楽をして」もいた。これでは座右の銘に反する。もう少し、ストイックに生きなければ。

そんなわけで、目標をとりあえず二つほど。ひとつは、春の長期休みに何としても「一カ月間の旅」を決行すること。おそらく、このタイミングがラストチャンスだと思う。そしてもうひとつ、夏の長期休みまでに何とか「塾講師のアルバイトにつくこと」。こちらも就職を真面目に考えるならそろそろうかうかしてられない。

そんなわけで、少しばかり真面目な内容を書いてみたわけだが、ここに書かれていることが口先だけにならないように尽力したい。こうして記事にしたのは自分に発破をかけ、プレッシャーをかけるためでもあるのだから。未来の自分、忘れるなよ。忘れたらならちゃんと読み返せよ。

我が人生に幸多からんことを。
◆映画行ってきた




東のエデンがここ最近で久々の大ハズレだった。
ハズレだと思ってハズレ引くのは大丈夫でも、当たりだと思ってハズレ引くとダメージがでかい。当たり前。

◆レジュメ作ってた

『痴人の愛』に関して。
題目は「ナオミの娼婦性の起源」。

話は変わって『痴人の愛』はマゾヒズムの話なわけですが、ならサディズムの物語があってもいいのではないだろうか。
新米教師が女子高生を支配し、調教し、堕とす話とかそそる。
ただそれだけだとただの官能小説だから、ヒロインの境遇を不幸に設定しておいて、主人公に支配されることが見方によってはある種の幸福、ハッピーエンドになっている、とか。ついでに不幸な境遇によって歪んだヒロインは作中序盤ではいじめっ子とかだとさらにそそる。
主人公は支配欲求の強い鬼畜だけど、ハッピーエンド至上主義。こんなだとなかなか話になるんじゃないだろうか。

◆カラオケ

そういえば昨日行ってきた。
やっぱり歌うのって難しい。
そして見栄っ張りだからいつも上手く歌うことばかり気にしてしまう。楽しく歌うのってどうすればいいの?
そして大して上手くならない悲劇。もう嫌。

◆母親と長話

実はわりとする。
なぜか彼女の話と将来の話。

ちなみに俺の好みのタイプの女性、その起源が判明。
確かに綺麗な顔立ちでちょっと男勝りなところがあって頭悪くなさそうでスレンダーな女性が好みかも。
そうか、やっぱり保育園のときの彼女は俺の初恋だったのかもしれない。

小説についても少々。
「楽をしているから、刺激のない毎日を送っているから書けないのではないか」と鋭い意見が飛び出す。まったくもってその通りだと思った。やっぱ苦労しないと駄目だな。なんか堕落してたかもしれない。
とりあえずしばらくは塾講師のバイトを目指してみたいと思う。

あとニュースも見なきゃね。ミクシィニュースの記事を一日一個ノルマにするのも面白いかも。

◆最近の妄想分

・あえて「面白い展開を練らずに」書く。つまらないものを書く。考えすぎの抑止になるだろうか。

・誰か(一人)の為に小説を書く、ということ。そんなことが出来たらロマンチックだなぁ。そんなことをしてみたい。

・文学少女を読んでいて→食べ物を食べられない体、しかし食欲はある、一生満たされない体、とか。

 
◆気が向かなかったので短め

健全の範囲内でエロスを求めた時、「惚れ薬」ってそれだけで最強の道具だと思う。

◆ピクシブ

綺麗な絵を見るとそれだけでテンションあがる。

R-18タグ、押すだけでテンションあがる。

◆今日の読書

文学少女終わらなかった。
レジュメがさっくり終われば明日はじっくり読書したいです。

◆今日の妄想

・惚れ薬にまつわる話ーー異世界もの、主人公が薬剤師の学校に通っている

・恋愛禁止の学校にある他人の恋愛を応援する部活動の話。他人の恋路にちょっかい出しつつ、部長のヒロインと平の主人公のラブコメとか。

・ドSヒロイン→告白するも振られる、恋人はいらない、欲しいのは私のモノになる奴隷だ、なんて言い放つ→相手を支配したいという欲求は本物だが、実は無意識下で支配されたいとも考えている。

ふと正統派異世界ファンタジーに憧れをもつ。いや、憧れは前からずっとあったけど。

・主人公はドラマのない現実を嫌っている空想癖のある少年。ここではないどこかに行きたい、そこへ行けば自分は変われると思っている。その少年がなにかをきっかけに異世界のバランスを司っていたものを破壊してしまう。少年はやってきた世界で、いきなり世界の敵として迎えられる。少年が自ら壊した世界のバランスを元に戻すため世界再生の旅にでる冒険ファンタジー。

 


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プロフィール
HN:
天野 雀
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1989/11/24
職業:
高校三年生
趣味:
読書・麻雀
自己紹介:
大学生ニート。麻雀始めました。
物書き生命ぴんち。リハビリと休養に努めたいと思います。いや、努めちゃだめなの……か?
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